前期の副専攻、表象分化だった。ボードリヤールとかダダとか荒川修作とか現代芸術分野を ゼミ形式で発表するのが基本だったから、特に何を学んだという記憶もないけども。
この前の日記を踏まえて、共感覚的メタファーを中心に研究したいと思っていたけど 「表現手段としての言語」だから、他の表現手段における共感覚的なもの及び非言語の (言語的)レトリックを研究するのもいいなと思った。パウル・クレーの共感覚の絵のよう…
うう、やっぱり既にあった、立派な論文が。まとめておく。 感覚の言葉構造・・・[存在判断−外界の事象][感じること−外界の感知]を私が統合する 知覚と感覚・・・「〜が見える」:知覚 「〜に見える」:感覚(抽象的なカテゴリー) ■私たちが花を見るとき、嗅覚・視…
わざわざ書き出すまでもないのだけど。またへこむだけだし。 ・専門分野外である・・・これは痛いね! ・他大学である・・・情報が入ってこないよ!不利になる大学もあるようだし ・もう10月半ば・・・間に合わないね! ・当てはまる大学院が未だ空中浮遊・・・院試以…
と、思えてきた今日このごろ・・・言語学は7割方違う。私は「表現手段としての言語」 「コミュニケーションとしての言語」のうえでのレトリックに興味があるのだし。 言語学っていうと範囲広いから一概に違うとも言い切れないけど、音声・音韻・形態・ 生成文…
分けるとは分けられないものを排除することである。 ★In the soul of who is ignorant,there is always room for a great idea. (byOscar Wilde) ■表現およびコミュニケーションにおいて選択される手段としての記号である言語は、社会制度による 規制受け概…
シニフィアン・シニフィエともに変えることはできない。デノテーション(外示的意味、母語の 人々に共通に理解される意味)、社会制度による強制 第三のコノテーション・・・[シニフィアン・シニフィエ]を[シニフィアン]に・・・デノテーションによる コノテーショ…
人間は言語によって世界を分かつ(分かつことは分かることである)。言語によって“イメージ” される非言語的なものも言語によって決まる(ex青を決めたのは言語である) 人間は世界を言語に縛り付けており、人間はいかなる手段を使おうと本質的に言語を通し…
人間はその連続体を言語によって分ける/なおかつ言語は概念である/依存するにも関わらず。 ×人間は言語によって自然=感覚的な世界を創造する −−−−−人間以前にも自然世界はあった。よって人間は言葉により自然を創造するのではない ○人間は言語によって現…
シニフィアンもシニフィエも実質ではない。シニフィエがスキーマ化された概念である場合、 モノの区切りは 1.プロトタイプの周辺的成員−−−基本カテゴリー(エキスパート/フォーク)の差(ex星と星座、色) 2.言語により異なるもの−−−ex兄弟など 2は純…
もう一度考え直す
そしてシニフィエは概念をあらわすものであり、指示対象をあらわすものではない という考え方について。んー、、これも、たとえば「犬」のシニフィアンがイヌという 音だったり犬という字の形だったり、これはわかる、その恣意性も。そのシニフィエが 具体的…
言語が変われば世界も変わる。ことばはモノの区切りを表す。 たとえば木や花なら専門家と一般人で区切りが分かれたりするのかもしれないけど、 それは基本カテゴリーの問題では。人間のことばによって世界を分けるという考え方は、 どうにも人間中心主義的な…
与えられたものでできている私にまったくオリジナルに私のものはないのか?という疑問というか 希望というかなんと言うか、私が探しているもの。でもそれは認識できないものだと思う。認識する= 形を私が「何らかのツールを使って」把握している、というこ…
それにしても、現代芸術とはなんともわかりづらいものだらけだ。何かしらヒント(交通整理みたいな もの)があればいいのだけど、それすらもなく、見ただけではまったくわからないものもある。 1.表現者は自己表現に終始し、鑑賞者とのインターアクション…
自画像というと(私小説もそうか。私音楽っていうのはないか。ないのかな?ないとしたら、何故 ???) 見えない己の姿を何とか描き出そうと画家が苦心した結果であるみたいなことをどこかで聞いた。 画家は自画像において自らとインターアクションを行ってい…
今のところ、なし。会話(言語コミュニケーション)は言うまでもなく、独り言にしても私は 私とインターアクションをとっている。つまり、私の中の他者とのコミュニケーションであり ことばは他者(/社会)と常に向き合うツールである。 「絵や音楽やその他…
ことばが具体的なものから逃れるためには、音楽やダンスのように形や規制をなくしてしまえばいい。 というわけでダダイズム。大学4年時に実際に「ダダは何も意味しない」言語の崩壊を聞く。 ・・・あー。がっかりだ。がっかり。何言ってるかわからないんだもん…
小学生のころ:とにかく本の虫だった。だけどこれは実際あまり良くないのだと思う。 赤と青を混ぜて紫を見つけることはできても、紫から赤と青を分析するのはとても難しい。子供に 完成された表現の集合体をたくさん与えると、それに安住して自分の「ことば…
「残酷な神が支配する」を読んだ。mixiのコミュトップにこれを読んで一週間はどうのこうのと 書かれていたので、最後どうなるのかハラハラしてひたすら死ぬな幸せになってくれと 祈りつつ読む。 ・・・んで。 んー。これは、ハッピーエンド・・・、変わっても変わ…
基本的に勉強不足・・・認知意味論だけでなくむしろ(一般)言語学、応用言語学、 言語哲学の域ならばますますの勉強不足ってかむしろやってないしその辺。 もー今年は無理でしょー。のんびりやりたいよ。 21日には東大の入試説明会だけども、言語情報科学よ…
ソシュールはことばは思考の定着とための手段、言語外現実を指し示すものという考えを否定している。 言語に先だつ概念はなく、言語が現れる以前は分節されない混沌とした世界があった。 ことばが本質的に分節された世界を名づけたものでなくても、人間がこ…
少なくとも今まで読んだ認知言語学や意味論の本でソシュールはほとんど触れられていなかった。 パロール、ラング、ランガージュが少し書かれていたくらい。ことばとは何か、を知りたいのなら 認知言語学ではなく言語哲学ということか。レトリック研究を通じ…
はてなって一日一回まとまりの記事なのね・・・シンプルでいいかなと思ったけどこれは 迂闊だった。すんごい書きにくい
クレーの絵は絵であり、色であり、詩であり、曲であり、空間をもち、時間が流れている。 クレーの作品は「絵」にとどまらず、作品がもつさまざまな感覚や現象は鑑賞する際に同時に おしよせ、見ている私にとって整理されない混乱さと同時に解放感のようなも…
私はことばによる表現とは、例えるならば波紋のようなものだと考えている。感情や思考の海に、 表現のきっかけとなる事象、すなわち波紋を発生させるための「石」が投げ落とされ、水面に波紋が 広がっていく。沈んでいく「石」は海を動かすが、水面から見て…
たこのーと始めます。過去さまざまな日記をさまざまな場所で書いてきましたが、 この日記は公開しているにも関わらず完全に私の私による私のための書きなぐりブログです。 自分のことを整理するために書いていきます。 現在のたこ状況 法学部4年: 卒業に必…