「芸術と批評」より・・・共感覚的比喩の論文

うう、やっぱり既にあった、立派な論文が。まとめておく。


感覚の言葉構造・・・[存在判断−外界の事象][感じること−外界の感知]を私が統合する
知覚と感覚・・・「〜が見える」:知覚 「〜に見える」:感覚(抽象的なカテゴリー)
■私たちが花を見るとき、嗅覚・視覚・触覚・情緒とさまざまな感覚と意味が私たちにもたらされる


■“感じる”は受容的かつ主観的であり、感覚的言語表現はその「代わり」としてある。
■抽象化とは分化・一般化によるカテゴリー化をいう。
共感覚の移転は未分化(視聴覚)→分化(=抽象化)の経路で逆はない
■私たちはさまざまな数え切れない微妙な感覚を具体的に区別している
→ことばが「代わり」となる(言い切れない)
共感覚的比喩:感覚から外在へ
 隠喩:もともと空間的存在のものを類比させる


この人(も)、感覚は知覚の前に位置付けているということで良いのだよね。それでも
それを「極めてさまざまに微妙にかつ具体的に」区別しており、ことばはそれを「言い切れない」。
ふーむ。