分けること、分かること

分けるとは分けられないものを排除することである。
★In the soul of who is ignorant,there is always room for a great idea.
(byOscar Wilde)


■表現およびコミュニケーションにおいて選択される手段としての記号である言語は、社会制度による
規制受け概念の枠にある既成の言語である。
■コミュニケーションにおいては、ダダのように言語の崩壊したもの(シニフィアンの崩壊、ゆえに
シニフィエの崩壊)は使えない。−−−−−社会による規制/コミュニケーションが取れない/
                    把握できないところに人間の現実世界はない(極論?)
■ゆえに、第三のコノテーションが重要となってくる。


■非言語(色・音・形など)も言語に依存しているが、デノテーションをもたないかとてもゆるい。
ゆえにことばよりも制約から放たれている(ぶん、具体性を欠く)
また、色は視覚・音は聴覚・形は触覚による。あと味覚/嗅覚
■円滑なコミュニケーションのため、通常言葉は他のイメージを喚起しない。感動は感動以上でも
以下でもない(デノテーション/概念の枠から出ない)
■ことばは本質的に感覚を通しているが、レトリックはこれを思い出す/意識的に想起するための
ものである
⇒複数の感覚をもった共感覚的なメタファー(意識的に複数の感覚と非・言語を想起させる)
 イメージメタファー(同じ)
 直喩・隠喩(意識的に二つの類似したものを結びつけるあるいは類似性を作り出す)
これにより、ことば(社会的な強制力によりコミュニケーションを行うことができる)のもつ制約の
中でより豊かな想像世界を目指す。


⇒非言語的/複数の感覚による“イメージ”でデノテーションがゆるくなると個人の想像世界も広がる(たぶん


■ことばは、人間が世界を分けるためにあり(本質)、社会と関わるためにある(既成) 


というわけでレトリック、の中でも共感覚的なメタファー、イメージメタファーを中心に。
あとは直喩。そして他の表現手段(色・形・音)との比較も。
『制限されたことばによるできるだけ制限されない表現』『共通理解/強制力をもちながら個人の想像
世界の中でできるだけ自由に遊ばれることば(と想起されることば以外のもの)』